わたしが現在チャレンジしていることについて

わたしは今、あるチャレンジを自分に課しています。

それは「不快に飛び込むこと」です。

不快というのは、自分のコンフォートゾーンの外にいるからこそ味わう感情です。
だからこそ、飛び込む前はとても怖いですし、緊張もするし、逃げ出したくもなります。

ですが、そこを超えると新しい人や知識と出会いがあり、自分の世界の広がりを感じます。
それを習慣にすることが、まずは目標です。

わたしにとっては、日経新聞を読むことと、英語を習得すること、新しいコミュニティに飛び込むこと、です。

日経新聞は30分目を通すだけでも時代の流れに触れられますし、テレビを見ないので、唯一の社会との繋がりとなります(笑)
基本、新しい情報を取り入れられるし、わからない単語に出会うことも学びとなるので、とても楽しいです!

そして、英語を習得することなんですが、こちらは最近、ミートアップというアプリを使用し、国際交流会に参加しています。
8割くらい相手の言ってることはわかりません(笑)
でも、自分の英語レベルの確認のためだったり、単語や言い回しを新しく覚えたり、勉強の仕方についてシェアしたりと、得られることばかりです!

不快だな…と感じたら自分の世界を広げるチャンスだと思い、迷わずチャレンジをオススメします!!!

かみさまが裁判をしきってくれればいいのになんて思ってしまいます。

以前、ドキュメンタリー番組を見て思ったのですが、犯罪者に対しての刑がその犯罪にあっていないことがあると感じたことがあります。

例えば、酷く残忍な殺人事件を犯したのに、被害者の方が一名だったから死刑にはならないということもあります。
一方で、犯罪を犯してしまったけれど、それまで真面目に一生懸命暮らしていた人が、長年の理不尽で不当な扱いに精神的におかしくなってしまい、とうとう我慢できずに殺人という方法を取ったという事件では犯人は死刑になっていました。

確かにどんな状況であっても、人の命を奪うことは私はよくないと思います。
ですから、人の命を奪うことが許される戦争も間違っていると思っています。
でも、やむに已まれずという悲しい状況で起きてしまった殺人事件では情状酌量の余地があると考えます。

しかし、残酷な殺人を自分の身勝手な思いで遂行した人は情状酌量の余地はないと思います。
死刑がいいか悪いかはわかりませんが、一生、社会にはでないで刑務所の中で仕事をしてそのお金で社会貢献して欲しいと思います。

人間が人間を裁くことに限界があるなあと感じています。
神様がいて悪い人を裁いてくれればいいのになんて思います。脱毛ラボ 都度払い